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大震災の危機を乗り越えたパンダたち

2010.04.30

地震直後

 

 ブンセン県映秀鎮に隣接し、 震源地からわずか10キロメートルのところにある臥竜(がりゅう)自然保護区は、中国最大のパンダ保護区。 野性パンダの生息地の中心的保護区で、2006年には世界遺産に登録された。

 

 2008年5月12日14時28分、 臥竜自然保護区でのんびりと午後の休憩を過ごしていたパンダたちは突然の災難に見舞われた。

 「山の岩が恐ろしい勢いで崩れ落ち、巨大な岩石と土砂が川になだれ込み、 川の水を茶色に染めました。同時に、ものすごい砂埃が空を覆い、わたしたちは目も開けていられなくなりました。 パンダ飼育所には泥水が満ち溢れ、建物は壊れ、人も含めてなにもかもが泥まみれになりました」と、 パンダ保護研究センター研究員の黄さんは当時を振り返る。

 パンダ苑と呼ばれる飼育所には、 当時20人ほどの飼育係と35人の外国人観光客がいた。パンダ苑の大門は落石で塞がれ、すべての人々が飼育所の構内に閉じ込められた。 飼育係たちは、まず最初に観光客とパンダの安全に気を配った。 

 「この大地震でパンダは大きなショックを受けました。 成年パンダはすごく不安になり、やたらと走り回り、幼いパンダは驚きのあまりあちこちに隠れようとし、 1歳半から4歳までの亜成体(成人前の少年少女という年齢)の7頭のパンダは木にかけ登ってじっとしていました」 と黄さんはいう。

 観光客と女性従業員を安全なところに避難させてから、 係員たちは廃墟となった保護区で1頭1頭パンダを探し出し、見つけると、優しく撫で、声をかけ、抱いたり肩で担いだりして救い出した。 1時間後、14頭のパンダが救い出された。続いて亜成体の7頭のパンダも救い出され、次々に多くのパンダが安全な場所に移された。

 

 

お粥を食べたパンダ

 

 崖崩れによる落石や土砂で道路が寸断され、車も人も通行できなくなり、 保護区内の一部の家屋も倒れ、約30人が重傷、70人が軽傷を負った。

 5月16日、 地震から4日後、『国宝のパンダが食糧の危機に見舞われています!』と、 飼育係たちはSOSのパンダ日記をインターネットにアップした。

 地震発生後、 地元の人々の協力もあって、パンダを比較的安全な四川省中南部の楽山市沙湾区に移送したが、パンダは毎日10時間食事し、 1日10~18キログラムの竹と笹を摂るという特殊な生態のため、被災地にいるパンダは食べ物の危機に瀕していた。 飼育係の周勇さんは、「地震発生からわずか数分の間に、 芝生で遊んでいた12頭の子パンダをすべて保護し管理局の門の前の広場に集めました。その晩、みんなで広場にテントを作り、 子パンダを抱いて自分の体で温め、名前を呼びながらやさしく撫でてなだめました。 子パンダたちはわたしたちの服をつかまえて離しませんでした。竹とリンゴが不足し、 子パンダたちはわたしたちと一緒にお粥を食べてお腹の足しにしたのです」という。

 SOSの日記が発表されるやいなや、関係機関と世間の対応は早かった。 成都パンダ繁殖飼育研究基地は、すぐさま竹2500キロ、筍2000キロ、トウモロコシパン100キロ、リンゴ1000キロ、 パンダ専用粉ミルク200キロ、薬品、その他を臥竜パンダ保護研究センターに運送した。

※下の写真は、 トウモロコシパンを食べる子パンダたち。震災直後はごちそうとなった。

 

 

地震後のパンダ移送大作戦

 

 臥竜自然保護区の核桃坪(かくとうへい)パンダ基地は特に被害が大きかった。 中国パンダ保護研究センターは、ここでの飼育継続は難しいという判断でパンダの移転を決定。次のパンダ移送大作戦が実行された。

 

 5月18日 《ランラン》《ツイツイ》 など8頭のパンダが成都パンダ繁殖飼育研究基地に移送された。彼ら8頭は、 予定通り24日に北京オリンピック宣伝のため北京に移動した。

 

 6月18日 13頭の亜成体パンダが雅安碧峰峡 (へきほうきょう)基地に移転。雅安碧峰峡基地では急遽17セットの臨時飼育場を建てた。

 

 6月24日 4頭のパンダが福建省福州パンダ研究センターに移送された。

 

 こうして1ヵ月のうちに数回に分けて、 交配用の27頭の雄パンダと一部の子パンダが雅安碧峰峡基地に移転。 臥竜に残る20頭のパンダは安全なところで現在も行き届いた世話を受けている。

 また、 パンダの出産時期は毎年8、9月がピークである。妊娠中のパンダは雅安碧峰峡基地に無事移送された。

 パンダたちはあちこちに分散されたが、 新しいパンダ保護研究センターが再建されると、すべての人工飼育パンダを臥竜に戻す予定である。

 

 

傷ついたパンダの心を慰める

 

 『わたしはショックを受けました!』と、 パンダはさまざまな動作や行動で、地震で受けた大きなショックを表現している。

 「地震がパンダにもたらした影響は非常に大きく、 パンダはすっかり臆病になりました。うつろな目つきをしていて、歩くときもこっそりと歩き、 今までの活発さがすっかりなくなってしまったのです」と、臥竜自然保護区管理局の張和民局長は語る。

 人間と同じように震災後の心のケアがパンダにも必要とされたのである。

 無邪気な子パンダは比較的早く回復することができたが、 成体のパンダの心の傷の回復には長い時間がかかった。

 「ショックを受けたパンダは不安に陥り、いらだちやすいので、 わたしたちはできる限り人に会わせずに静かで穏やかな住み家を作りました。また、パンダの主食は竹。 食べ慣れない河南省から運ばれた竹には好物を混ぜて与えるよう配合に気を使いました。こうして徐々に食生活を戻していきました」 と周勇さんはいう。

 地震後、 パンダの《ルル》は何日も食事を摂らず、気性が荒っぽくなり、落ち着きもなくなった。 飼育係はルルに話しかけたり撫でたりして安心させ、根気よく心の治療を続けた。効果を見せ始めたのは地震後8日目、 ルルはようやく竹を食べ、ショックから立ち直った。

 

 

震災後のパンダの出産

 

 雅安碧峰峡基地の飼育係の行き届いた世話を受けて、12歳のパンダ 《グオグオ》は順調に双子を出産した。これは大地震後初めてのパンダの出産であった。グオグオに続いて《バイシュエ》《インイン》 《ロンシン》などのパンダも次々に出産。10頭の母パンダは計15頭の子パンダを出産し、現在も13頭が生存し、逞しく成長している。

 さらに2009年には16頭の子パンダが生まれた。

 2010年1月5日、地震後に生まれたパンダのうち選ばれた10頭のパンダ (雄4頭、雌6頭)が雅安碧峰峡基地から上海に向った。彼らは1年にわたる万博の宣伝のために活躍する。みな適応力が高く、 活発でかわいらしい。

 

 

パンダ生息地の再建

 

 四川省の自然保護プロジェクトを実施した1998年以来、 野生のパンダ生息地の面積は年を追って拡大してきた。震災前の四川省のパンダ生息地はおよそ2万平方キロメートル弱だった。 大地震によって、パンダ生息地の大半は破壊されたが、震災後、すぐに修復と復旧工事が着手された。また、 四川省は破壊されたパンダの生息地を回復させると同時に、4万ヘクタールのパンダ生息地を増やし、さらに野生パンダの繁殖のために、 土地嶺と泥巴山に野生パンダ遺伝子交換ベルト地帯を作り上げた。

 この再建プロジェクトは、2010年に全面的に完成する予定だ。