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「東方の宝石」 トキが舞う村 洋県

2009.10.31

野性のトキの生息地・洋県

 

 中国陜西 (せんせい)省洋県は、秦嶺(しんれい)山脈の南側に位置し、山麓には漢中盆地が広がり、温暖な気候に恵まれたのどかな地域である。 住民は農業を主とした生活をしている。

 1981年、 洋県は突如国際鳥類学界から注目を集めることとなった。絶滅したと思われていた野生のトキ(朱鷺)7羽が発見されたのだ。

 かつてトキは、ロシアから中国、朝鮮半島、 そして日本の北部にわたり広範囲に生息していた。それが、20世紀に入ると瞬く間に数を減らし、 1960年には絶滅の怖れがある国際保護鳥に指定された。

 急激な減少の要因は、環境悪化や乱獲だ。トキは、 ドジョウやカエルなど渓流や水田の水生動物を好んで食べ、ヘビやイタチの被害から逃れるために背の高い木に巣を造る。近年、 農薬を用いる水田や樹木の伐採が進む森では、卵を産み、雛を育てるのは難しくなった。

 1977年、 生態観察研究に携わる劉蔭増(リュウインツェン)氏を中心に調査隊が組織され、江蘇(こうそ)省及び安徽(あんき) 省南部から調査が開始された。河北省、山西省とくまなく歩き回って調査したが、トキの姿を見ることはなかった。地元の老人から 「50年代に飛んでいったのを見たきりだ」と告げられた。

 トキは海抜1200~1400mの温帯の山地に生息することから、調査隊は、 より海抜が高い地域を目指し、秦嶺山脈南麓まで捜索範囲を拡げた。

 ある日、 劉蔭増氏と調査隊は、洋県姚家溝(ようかこう)村を一日中歩き回り、夕暮れのなか帰途につこうとしていた。 そのとき、劉氏の目に大きな飛鳥が映った。

 「トキだ!」しかし、その姿はすぐに林の向こうへ消えていった。

 数日後、 劉氏は水田で餌を探す1羽の鳥を発見。紅色の頭と脚、弧を描く黒いくちばし、そしてピンク色をした両翼の内側。間違いなく、 トキであった。

 その後、 洋県での調査は続けられ、一組のつがいの他、雛を発見することができた。

 1981年、 調査隊は合計で7羽のトキを発見した。5年間3万kmに及ぶ長く遠い旅は、国際鳥類学界から大きな関心を寄せられた。

 

 

人工飼育から野生に帰すまで

 

 洋県当局は、 発見した7羽の野性のトキを保護するため徹底した保護措置をとった。

 樹木の伐採を禁止し、植樹を行い、耕地を林に戻すよう努めた。植樹、 造林のため飛行機で種を捲いた山地の総面積は8000平方kmにも及んだ。また、トキが餌を捕獲できるように農薬の使用を禁じ、 冬でも一定面積の水田を保った。しかし、それだけでは足らず、人工的にも餌を与えた。

 その間、 トキの保護事業や生息地の見学、実地調査を行うために、ドイツやイギリス、 アメリカなど10数ヵ国から300人もの専門家や学者たちが洋県を訪れた。

 洋県では、 その後、トキの人工繁殖・育成に成功し、最初の再発見から約20年後には230羽余まで増やすことができた。 2002年には陜西省トキ国家級自然保護区が設立され、人工飼育されたトキを野生に帰すことにも成功している。

 現在までに、 トキは約1200羽に増えている。

 日本では、 日本における最後の野生のトキ5羽を1981年に佐渡トキ保護センターに移し、人工飼育が続けられたが、トキの詳細な生態が分からず、 人になつかぬ性格のトキを飼育するのは非常に困難であった。佐渡には「キン」と名付けられたトキが1羽いたが、 高齢で繁殖は不可能とみられていた。

 1998年、 江沢民国家主席(当時)により日本にトキのつがいが贈呈された。翌年、佐渡に友友(ヨウヨウ)と洋洋(ヤンヤン)が届き、 2羽は順調に飼育され、雄の雛鳥が誕生し、優優(ユウユウ)と名付けられた。日本初のトキの人工繁殖成功である。

 

 

トキの故里とその四季

 

 トキは水田が多い平原などで冬を過ごし、春に繁殖期を迎える。 繁殖期には首筋から黒い分泌液が出て、これをくちばしで体に塗りつけるため、頭や背中が灰色になる。 つがいとなった2羽は群れから離れ、高い木に巣を作り淡い黄緑色の卵を産む。つがいの雌と雄が一緒になって雛を育てるのである。

 秋になると、 トキの羽は白色に戻る。再び群れを作り、低地を美しく優雅に飛び回る。

 農村の原風景とも思えるこの集落には、人々の穏やかな優しさがみられる。 農作業をする人々に、トキが4~5メートルまで近よることもある。

 人とトキが共生する姿を目にすると、 失われた故里に舞い戻ったような安らぎをおぼえるのである。