大航海時代の幕開け
大航海時代の幕を開けたポルトガルは、ヴァスコ・ダ・ ガマが喜望峰を廻ってインドに至る航路を発見した。それまでイスラム商人の独壇場であった香辛料の流通経路に風穴を開け、 新たに築かれた「海のシルクロード」と呼ばれる香辛料の直送ルートは、ポルトガルに多大な富をもたらした。次いで、 ポルトガルはインドのゴアを支配下に置きながら、南シナ海に進出し、中国珠江沿岸に交易拠点を設けた。
当時、 東シナ海を根拠地としていた倭寇は、南シナ海にまで南下し、密貿易や海賊行為を重ねてきた。明は、 目に余る倭寇の行為を糾すことを条件に、1557年、ポルトガルがマカオを定住地とすることを認めた。
こうして、 マカオを拠点にポルトガルの東進の波は日本にまで及んだ。1543年種子島に漂着したポルトガル人は、我国に初めての鉄砲を伝えた。 また、1549年にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸、キリスト教の布教を始めた。 翌1550年には平戸で日本とポルトガルの交易が始まった。マカオを中継基地としたポルトガルは、鉄砲と火薬を、 日本からは銀を主な交易品とした。当時日本の銀はほとんどが岩見銀山(現在の島根県大田市)のもので、 最盛期には世界の総産出量の3分の1を占めたといわれる。そのほとんどがマカオに集積され、中国や西洋に渡っていった。 マカオの空前の栄華の中でイエズス会も潤沢な資金を得ることができた。現在、 マカオで世界文化遺産に指定されている建造物のほとんどがその恩恵を受けている。
ポルトガルは布教と交易という教商一致の対日政策をマカオ経由で行った。
例えば鉄砲・火薬・地球儀・望遠鏡・カステラ・ワイン・カルタ・マントなどや、織田信長に謁見したイエズス会宣教師ルイス・フロイス、
信長の親書を携えマカオ経由でローマに派遣された4人の天正遣欧少年使節、その派遣に尽力したイエズス会日本巡察師アレッサンドロ・
ヴァリニャーノなど、文物や人材の交流が行われた。マカオは、当時の日本の西洋世界への窓口となっていたのである。
ノスタルジックな街・マカオ
今号の表紙を飾る聖ポール天主堂跡はマカオのシンボルとして有名だ。 38年の歳月をかけて1640年に完成した。A・ヴァリニャーノ神父の創設によるものだが、 実際は中国人やキリスト教迫害から逃れてマカオに移住した日本人信者の手によって建てられた。
現在、 教会部分は焼け落ちファサードだけが遺されている。焼け落ちた教会の主祭壇部分には、天主教芸術博物館とA・ヴァリニャーノ神父のものといわれる墓、地下納骨堂とが建立され、 日本人殉教者の遺骨も納められている。
ユーラシア大陸最西端ポルトガルのロカ岬には、詩人ルイス・カモンエスが 『ルシタニアの民』(※)のなかで、大海に出帆する船乗りの心意気を詠った一節
大陸の尽きるところ
大海の始まるところ
の碑が刻まれている。ポルトガル人にとっては、 ロカ岬から未知の大海の彼方マカオは大海の尽きるところであっただろう。
マカオに定住したポルトガル人たちは、 新天地マカオでポルトガル様式の建物を建て、文化を築き上げていった。
1580年、 ポルトガルはスペインに併合された。1614年にはキリスト教禁止令が発令された日本との交易もオランダに奪われ、 国力の衰えとともにマカオは次第に孤立し、哀愁に満ちた街となっていったのである。
※ ルシタニアとはポルトガルの古称
ポルトガルが色濃く残る現在のマカオ
「マカオは南に行く程ポルトガル」といわれるように、ポルトガル人は半島の南部に教会を建立し、城壁、砦を築いた。 邸宅や別荘も半島南部から対岸のタイパ島の水辺に沿って建てられた。また「坂を上がればポルトガル」といわれるように、 丘や坂の上には天に近いことから宗教施設や砦などが多く建てられた。半島の先端にある「ポウサダ・デ・サンチャゴ」もその一つで、 現在は要塞を改装し、ノスタルジックな雰囲気を持つホテルとなっている。
タイパ島とコロアン島
半島と橋で結ばれるタイパ島に残るポルトガル人官吏の別荘は、現在タイパ・ ハウス・ミュージアムとして公開されている。昔はタイパとコロアンは2つの島だったが、埋め立てによって1つの島になった。 コロアン島の西端、聖F・ ザビエル教会のあるコロアン村には昔懐かしい南アジアの魚村といった風情がある。
中国へ返還10年間の実り
マカオは1999年12月20日に中国に返還されて10周年を迎える。現在、 マカオとその北にある珠海、香港とその北にある深、この各々特徴のある4つの地域を結び、協調して発展させるプランとして、マカオ・ 香港間に港珠澳大橋を架けるという、スケールの大きな話が実現しようとしている。中央政府は年内に着工、 2015年に開通を目指すと発表。完成すれば全長約30キロメートルの世界最長クラスの海上橋となる。これによりマカオ・ 香港間が30分で結ばれる。
返還直後に、 特別行政府は、マカオの歴史、文化、伝統を伝える施設としてマカオ博物館をモンテの砦に建てた。 中国の発明した羅針盤をはじめ茶器や大航海時代の船具などポルトガルと中国の交流が分かりやすく展示されている。 そこには各々の国への敬意と温かな視線が伺える。




