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漢族や少数民族の伝統的な祭り「三月三(サンユエサン)」

2009.03.31

春の訪れを喜び歌い踊る

 

 日本では3月3日を雛祭りといい、女子の成長を祝う日とされている。 中国では地域や民族によりさまざまな言い伝えによる3月3日の祭りが行われている。

 一つは黄帝の誕生日を祝う日、また、伏羲(ふっき、 古代中国神話の神または帝王といわれている)を偲ぶ日ともいわれる。伏羲と妹の「じょか」(古代中国神話の女神。 伏羲とは妹または夫婦とされている)が土を練って造ったものが人類の祖先だと伝えられているため、河南省の東部一帯では伏羲を 「人祖爺(人類の創造者)」と呼んでいる。伏羲が造った都とされる「淮陽」には伏羲の陵墓、太昊陵(たいこうりょう) が建てられており、旧暦の2月2日から3月3日まで、太昊陵の廟会が開かれ、人類の祖・ 伏羲を祭るために信徒たちが続々と陵墓に駆けつける。

 また、3月3日は伝説の王母娘娘(西王母)が蟠桃会(ばんとうえ) を開いた日とされている。言い伝えによれば、西王母は中国西部地方の保護神で、 不老不死の仙薬と長生きの効用がある蟠桃という2つの宝物を持っていた。月に住むといわれる嫦娥(じょうが)は、かつて、 地上にいたときに、夫の后が盗んだ西王母の仙薬を飲み、月に飛び、今も月に住んでいるという。そのため、 西王母は幸せと長寿の神様として崇められている。

 

 

 古代「上巳節」と呼ばれたのは、3月最初の巳の日が「上巳」とされ、 漢代にはその日が祭日に定められていたからだ。『後漢書』には、上巳の日には、役人も庶民も川に行き、 体や服を洗って厄払いをしたと記されている。後には川辺での宴会やピクニックという行事の内容に変わっていった。 上巳の夜には亡くなった人の魂が出没するといわれ、それぞれの家では魔除けの爆竹が鳴らされた。

 魏・晋代以降、上巳節は旧暦の3月3日とされた。 以後漢族はこの日に祭祀を行い、川辺で遊び、芽吹いた柳を愛でるなどの行事が習わしとなった。

 唐代の詩人・杜甫は「3月3日、気象新たにして、長安の水辺、麗人多し」 (3月3日、春になって暖かくなり、長安の川辺には、青々とした柳を愛でて歩く美しい女性が多くなってきた)と詠んだ。

 宋代の欧陽修は「清明の上巳、西湖好く、満目繁華なり。道を争うは誰が家ぞ。 緑柳朱輪、鈿車を走らす。遊人日暮れて相い将いて去り、醒むると酔うと喧嘩たり」(清明節のころの3月最初の巳の日、西湖は美しく、 見渡す限りにぎわっている。先を争って行くのは誰だ。青々とした柳の下を飾り立てた貴人の車が走る。 人は風流を求め日暮れと共に連れだって歩き、酔っている者も醒めている者も騒がしいことだ)という詩を詠み、 上巳の日のにぎわいを描いた。唐・宋の時代にも、上巳節が盛んだったことを示している。

 

 台湾や福建省では、3月3日は「三月節」と呼ばれ、「母子草を採り、 米粉で練り、菓子を作り祖先を祭る」という習慣が清代の『台湾府志』に記されている。この祝い方が日本の雛祭りに通じる。

 

 

 

※写真は少数民族の3月3日の伝統的な歌祭りの様子です。

   未婚の男性と女性が中心となり歌い、 刺繍した毬や絵を描いた卵を交換したりして

   情を深めます。