冬至を境に陽気が回復する
陰陽転換の要の節気である冬至の日の日差しは、 冬至線とも呼ばれる南回帰線を直下に照らし、北半球においては一年のうちで最も昼が短く、夜が長い日である。
この日から陽気がゆっくりと回復し、 新しい年の節気が巡るめでたい日の意から、昔は「冬至は陽生の始まり」といわれていた。
記録によると、 中国では周代には冬至と正月の区別がなく、冬至から新年が始まり、新年と冬至は一緒に祝われていた。
漢の武帝が農暦を採用してから、 冬至と正月を区別するようになり、冬至は独立した節句として祭られ、「冬節」と呼ばれた。
『後漢書』には、「冬至前後になると、皇帝は身体を休め、 百官も仕事を止め、後によき日を選んで仕事に戻る」という記載がある。つまり、この日に、朝廷も民間も執務を休み、 軍隊も戦いを止め、国境を閉じ、商売も休業し、身体を休め、親類縁者の間をお互いに訪問したりご馳走を振る舞ったりして、 楽しく祭日を過ごした。
唐・宋代になると、 皇帝はこの日に天を祭る式典を行い、民間では父母や年長者を称え、祖先を祭る日となった。地方に出稼ぎに行った者もすべて帰省し、 墓参りをし、一家団らんの節句とした。

中国各地の冬至の祝い方
福建省や台湾では今も墓参りの習慣が保たれているが、現在の中国の冬至の祝い方は各地方によりまちまちである。
江南水郷では、 冬至の夜に一家そろって小豆ともち米の赤飯を食べる習慣がある。この地方の伝説によると、 炎帝の後裔にさんざん悪事をはたらいた男がおり、百姓を虐め、人々を苦しめた。彼は冬至の日に死んだが、疫病の鬼となり、 死後も人々を苦しめた。しかし、この鬼は小豆だけには弱いので、人々は冬至に赤飯を食べて鬼払いをし、災厄疫病を防いだという。
蘇州の人々は冬至にワンタンを食べる習慣がある。
昔、 呉国の王は山海珍味の美食に飽きてしまった。そこで、中国四大美人の一人といわれる西施が残り物の材料で軽食を作り呉王に捧げた。 呉王はそれを口にすると、「おいしい! 何という食べ物だ?」と何度も尋ねた。まさか残り物と言えぬ西施は、口から出まかせに 「ワンタンです」と答えた。西施の創造力と知恵を称えて、後世の蘇州の人々はワンタンを冬至の定番料理にしたという。
また、 蘇州では冬の初めに米酒を醸造して冬至に飲む習慣がある。
2500年前に呉国の都であった蘇州では、 現在も冬に米酒を飲むという呉国風情が継承されている。冬の米酒は冬至の前に醸造した上等な米酒である。作り立ての米酒は香り高く、 甘くておいしい。
蘇州では冬至に冬米酒を飲まなければ一晩中体が温まらないといわれており、冬至になると蘇州の店頭には冬の米酒が並ぶ。
紹興では、冬至は大切な年中行事で 「冬至は正月のごとし」といわれている。昔、人々は冬至を新年とし、多くの物事が冬至の日から始まったため、 農暦では冬至の106日後が「清明」とされた。
紹興の人々は、 冬至の日に墓地の掃除や除草などを行う。一族の祠で祖先を祭ることは「做冬至(ゾードンジー)」と呼ばれ、冬至の前日に紙の服を作り、 当日に祖先の墓前で焼き払う儀式を「送寒衣」という。祭りの後、親族たちは一堂に会して宴会を開く。これは俗に「送冬酒」 と呼ばれる。 送冬酒は祖先を追悼し、集う者たちの親睦を深めることにもなる。
また、紹興では冬至の日には、 不吉な言葉や口喧嘩、皿や椀など食器を壊すこと、嫁いだ女性がその日に実家に泊まること、 子どもを叱ったり叩いたりすることなどが禁止されている。
北方地域では冬至の食卓に餃子が欠かせない。
これは「医聖」と崇められた張仲景が作った餃子スープを偲ぶためである。張仲景の故里である河南省南陽地区では
「冬至に餃子を食べなければ、耳が冷え落ちる」と伝えられている。
昔、白河の両岸の村で、 冬の寒さと飢えとで耳が凍傷になった人々が多いのを目にした張仲景は、小屋を建て、鍋に羊肉、唐辛子、生薬を入れて煮込み、 それをみじん切りに刻んで餡にし、小麦粉を練った皮「嬌耳(餃子)」で包み、 椀に盛った羊肉スープにその餃子を2個ずつ入れて人々に配った。人々は温かいスープと餃子で体が温まり、凍傷の耳も治ったという。 それ以後人々は冬至に必ず餃子を食べるようになったという。
寧夏では冬至に「頭脳」を飲む。 銀川市の人々は羊肉と春雨のスープを「頭脳」と呼ぶのだ。
一家の主婦は夜明け前に起きて、 まずきのこをきれいに洗って煮込み、きのこスープを作る。別の中華鍋に一口大に切った羊肉、しょうが、長ねぎ、にんにく、 唐辛子粉を入れて炒めて、きのこスープを入れる。さらにきくらげ、春雨、大根の餃子、ニラの芽、にんにくの芽、香菜を加える。 香りがよく、赤、黄、緑、白、黒の五色がそろって、見た目にも食欲がわくおいしいスープは、まず、 祖先の位牌に供えてから家族そろって食べる。



