中国の料理・人・生活や、中国のエリアのガイドなどをご紹介|中国の今と健康を伝える情報誌"チャイナビュー"

中国料理,中国の人,中国の生活,中国のエリアガイドを伝える情報誌です。

航海史を飾る貿易港 泉 州

2008.10.20

海のシルクロードの拠点 

 

 泉州の古称はザイトンという。三国時代の戦乱を逃れて南下してきた晋国の人々が川辺に住みつき、川も晋江と呼ばれた。 彼らの進んだ生産技術や文化的知識によって、晋江一帯は福建南部の政治、経済、文化の中心となり、海上貿易も盛んになっていった。

 泉州は5〜8月は南東風が吹き、7〜9月は台風の季節。9月〜翌年4月までは北東風が吹くことから、帆船の航行には絶好の地であった。 海岸線は全長427平方メートルあり、 湾が多く水深が深いため、大型の船舶が風を避けて寄港するにも好都合であった。

 泉州の対外交易は、南朝時代に始まり唐代に大発展を遂げた。718年には10万人余りの人口を持つ大都市に成長し、 農業、紡績業、製陶業、冶金業などの産業も規模が拡大し、後の宋、元の時代に世界の経済や文化の中心に発展する基礎を固めた。

 また、優れた造船技術でも知られ、中国で遠洋貿易に使われた船舶のほとんどが泉州で製造された。 元代の泉州は約90ヵ国と交易し、 さらに宋、元の時代に製陶業が広く普及し、製品は東南アジアをはじめ世界各地に輸出され、「海のシルクロード」 による通商貿易の代表的商品となった。

 

ロマンあふれる鄭和の大航海 

 

 明代は中国や世界の航海史において、最も輝かしい時期である。

 近年、その偉業が改めて注目されている鄭和が、2万7000人と200隻ともいわれる大船隊を率いて航海を開始したのも明代の永楽3年 (1405年)である。

 鄭和は永楽帝の命により7回にわたり航海を行っている。福州、泉州などを経て大海に挑み、彼自身はペルシャ湾のホルムズまで達し、 分遣隊はメッカからアフリカ東岸まで至ったといわれる。鄭和が乗った船の大きさについては諸説あるが、復元された旗艦「宝船」は、 長さが約126m、幅が約51mもある巨大な木造船である。 泉州の北に位置する長楽の南山寺には、彼が航海の安全を祈願したとされる石碑が残っている。ちなみに、鄭和の艦隊の分遣隊が、 コロンブスより70年も早くアメリカ大陸に到達していたという記述もあり、 ロマンをかき立ててくれる。

 現在、泉州の海外交通史博物館では、鄭和の大航海に関する詳しい資料を見ることができる。

 世界有数の貿易港だった泉州からは、朝鮮や日本、東南アジアのみならず、アフリカの東海岸や地中海にも船が航行し、 上質なシルクと中国の陶磁器を各地に運んだ。同時に、商売や布教などを目的とする外国人を引き寄せ、イスラム教、ヒンズー教、カトリック、 マニ教、ユダヤ教などが泉州に伝来した。これらの宗教は中国本土の道教や中国化された仏教と共存し、 泉州を東西の多元的な文化が栄える都市とした。

 現在も保存されている老君岩石刻像、開元寺、イスラム教聖墓、清浄寺(モスク)、草庵マニ石仏などの史跡は、 いずれもさまざまな宗教が共に栄えた証拠である。また、海のシルクロードの拠点であった泉州には、万寿塔、 六勝塔などの古代航路の目印となる塔や、石湖埠頭・江口埠頭などの重要な遺物が現存している。

 

海の女神「媽祖」を祀る天后宮

 

 媽祖は泉州の人々が信仰している海上の女神である。史料によれば、宋の建隆元年(960年)、 福建の田県州島のとある漁民の家に女の子が生まれた。林黙と名付けられたこの女の子は幼い頃から賢く、 波を踏んで海を渡ることができたといわれる。他人を助けるやさしい娘に育った彼女は、しばしば海上で難破した船を救ったという。あるとき、 海に出た林黙の父と兄たちが強風と荒波に遭った。胸騒ぎを感じた林黙は自ら船を漕いで海に出て父や兄たちを救ったが、 林黙自身は遭難してしまった。彼女の行動に感銘を受けた村人は、地元に記念の廟を建て、「媽祖」として崇め今に至るという。

 この媽祖廟は世界各地の媽祖廟の総本山である。歴代の皇帝は媽祖を「天妃」「天后」「天上の聖母」と崇めた。媽祖廟はこうして元の名から 「天妃宮」「天后宮」と改名された。

 媽祖は昇天の後も海上の船を保護しているといわれ、現在も地元の漁民は漁に出る前には必ず、天后宮に来て無事を祈る。

 泉州の天后宮は、国内外で最も優れた建築で規模が大きい媽祖廟といわれる。南宋の慶元二年(1196年)に建設が始められた天后宮は、 正殿、山門、脇廊下、両亭などからなり、補修を繰り返すことによって現在も比較的完全な状態が保たれている。

 天后宮の正殿は敷地面積が635平方メートルあり、 明・清代に修復された木造建築が完全に保たれている。宋代の部分は、残存する福建南部の寺院建築の絶品である。

 その構造はユニークで、9本の棟木を持つ二重庇の入母屋造りの屋根がある。最も高い棟木の両側に、陶磁の玉と戯れる2匹の竜がおり、 色が鮮やかで美しい。大殿の門や窓は、細密な模様で飾られ、殿内の塗装はほとんどが赤を下地に如意文様 (幸運が訪れる前兆に現れる雲の図案)が描かれている。緑の下地の上に描かれたダリア、 ウメとカササギなどの図案は吉祥を象徴しており、長寿の意味がある。

 建物には、荒波を泳ぐ竜や魚、色鮮やかな花の浮き彫りも施されている。これらの福・禄・寿を表す装飾図案は道教信仰によるものであり、 神秘的な境地を表現している。

 かつて泉州が世界最大の貿易港の一つだったため、海外に移住した多くの人々は、天后宮の媽祖の位牌を各地へ持ち込んだ。 台湾や東南アジア諸国にある多くの媽祖廟は、ここから位牌を分祀されたものである。現在、多くの海外華僑が「元祖」 である泉州の天后宮を訪れ参拝する。