清王朝の文化を伝える離宮
北京から北東に200キロメートルあまり。 細長い谷間の地にある承徳避暑山荘は、清朝の第4代皇帝康煕帝によって造営が始められた夏の離宮である。 康煕帝が建設地として承徳を選んだのは、景観の良さもあったが、周辺民族を統治する上での地理的な利点もその理由の一つといわれる。
1703年から、清朝皇帝3代に亘る、計87年の歳月を経て完成した避暑山荘は、
面積約560万平方メートルに及び中国王宮庭園のなかで最大規模である。
清朝歴代の皇帝は、毎年夏にこの地で政治や軍事を執り行ったり、外国の使節や少数民族の首長と接見したりして、
北京の紫禁城に次ぐ政治の中心となった。避暑山荘の建物は宮殿地区と庭園地区の2つに分けることができる。
●宮殿地区
宮殿地区は皇帝が政務を行い居住した場所で、山荘の南端にあり「正宮」「松鶴斎」 「万壑松風殿」「東宮(現存せず)」の4組の建物から成っていた。宮殿地区の中心である正宮は9つの建物と庭が縦に連なる形式で、 主殿は「澹泊敬誠殿」といい、クスノキで建てられているため楠木殿とも呼ばれる。宮殿地区の建物は素朴だが、 皇帝の宮殿としての威厳を漂わせている。
●庭園地区
庭園地区は湖水区と平原区と山地区の3つに分けられ、皇帝が選んだ景観 「避暑山荘72景」がある。最大の特徴は山の中に庭園があり、庭園の中に山があることである。
山荘の東南部には、さまざまな形の湖が小島や砂州によって隔てられ、 湖岸には建物が建つ。このあたりの風景や建築物は「烟雨楼」や「金山島」をはじめ、ほとんどが康煕帝が好んだ江南の名勝を模している。 湖には2つの島があり、それぞれに「如意洲」と「月色江声」という2組の建築物がある。
「如意洲」には人工の山、涼亭、殿、廟、 池などが巧みに配され、「月色江声」は、あずまやと堂、中庭式住宅で構成されている。月が東山に昇る夜には、 青白い月光が静かな湖面に映り、静まりかえった山荘内では湖水が岸に打ち寄せるかすかな音だけが耳に心地よい。「月色江声」 の名はこのような趣に由来する。
平原区は山荘の北部にあり、主に草地と林からなり、 草原は皇帝が巡幸した際に馬を放牧しておくための場所である。林は避暑山荘内の重要な政治活動の場であった。
かつてここは「万樹園」と呼ばれ、皇帝用のパオ(モンゴルのテント) をはじめ大小28張のパオがあり、乾隆帝はここで少数民族の首長や各宗教の長、 諸外国の使節などと接見したからである。
万樹園のそばには杭州の六和塔を模した高さ65m、八角形で九層の舎利塔が立ち、園の西側には中国四大皇室蔵書閣の一つ、 文津閣がある。
山地区は山荘の北西部で、庭園面積全体の5分の4を占める。 峰が周囲を取り囲み谷が縦横に走る地形となっていて、山間には清水が沸き出し、峰や渓流を利用して多くの庭園や廟が造られている。
民族融合を象徴する「外八廟」
承徳のもう一つの見どころが、山荘の外側に寺廟建築が建ち並ぶ「外八廟」である。 主な寺廟8つを清朝によって直接管理されていたため外八廟と呼ばれるようになった。
「小さなポタラ宮」という美しい名称を持つ「普陀宗乗之廟」はチベット、
ラサのポタラ宮を模して建てられたもの。また、「須弥福寿之廟」は西チベットのタシルンポ寺院を模して造られている。特に別名
「大仏寺」といわれる普寧寺は、高さ22.28mの千手千眼観音菩薩立像で知られる。マツ、コノテガシワ、ニレ、シナノキ、
スギの5種類の木材で作られた立像は、現存する世界最大の木造仏である。
これらの寺や廟の多くは、モンゴル、 チベットなどの少数民族が信仰するチベット仏教やウイグル族が信仰するイスラム教の風俗習慣、建築様式に基づいて建てられている。 これは、清王朝が少数民族の首長をもてなし、相互の団結を強め、地方と中央の関係を密接にするために建てたものである。 これらの建築群は中国古代宗教建築の至宝であると同時に、中国諸民族の親善交流と相互の団結の歴史を刻み込んだシンボルでもある。



