「徽州古民居」とは
中国安徽省最南端の黄山南麓、周囲9807平方キロメートルの山間地区が黄山市。
山からの渓流が集まって新安江となり、この地区を貫いて流れる。この山や川の合間にしっくいの白壁と黒瓦の古民居が今も残る。

毎年4月になると、緑の山々を背景に黄色い菜の花が彩りを添え、白と黒の家並みを川面に映す風景は絵のように美しい。
黄山市は2300年の歴史を持つ。 秦代(前221〜 前206年) にこの地に県が置かれ、名を歙県といった。唐代以降、「徽州府」と呼ばれ、歙県、県、休寧、績渓、源、祁門を管轄した。 そのため、この一帯を古徽州と呼ぶようになった。現在でもこれらの県名は依然として使われており、 徽州府のみが黄山市と改名された。
黄山市には、世界文化遺産と自然遺産に加えて世界地質公園という世界有数の景観を持つ黄山風景区と、 歴史的古民居がある古徽州地区とがある。
古徽州地区は、古くから学問が盛んなところであったが、明・清時代に一部の知識人が、学問を捨て、商売を始めて成功した。 稼いだお金で故郷の大がかりな土木工事を行い、家屋や祠を修築し、道路や橋を設けて環境を整備した。
数百年の風雪を経て、大半の家屋や祠、書院や牌坊(アーチ型の装飾的建築物)は壊れてしまった。それでも数百軒もの古民居が残っており、 全体として明・清代の村落の基本的構造や特徴がよく残っているため、「徽州古民居」と呼ばれている。
古徽州建築の特徴
古い村落のなかでも古民居の保存状態が最もよいのは、県の西逓と宏村で、2000年11月に世界文化遺産として登録された。 この二つの村から古徽州建築物の主な特徴が見てとれる。建築全体の配置は簡潔、造形は素朴だが精緻な彫刻を持つ。 白壁と黒瓦を主とし、門の庇は極めて凝った造りで、多くが「招財進宝」を意味する馬蹄銀の形をしている。
建物上部には、伝承の物語や花鳥山水をテーマにした彫刻が施されている。
建物はほとんどが木造2階建てで、
防火のために屋根には高いうだつが造られている。さらに特徴的なのは、採光と通風のために作られた中庭で、
雨の日は雨水を貯めることができる。
2300年の歴史ある 「歙県」
古徽州で最も古い都市は歙県で、秦が県を設置したときに建てられた。内部の建築物はみな明・清時代に建て替えられているが、 この都市は2300年の歴史を持つ。 20平方キロメートルの都市は、 今も明時代の構造を残している。四方にそれぞれ城門があり、全市を東西に貫く古い街道が都市の中軸線である。 街道の両脇には商店がひしめき合って並んでおり、人の往来が絶えることがなかったといわれている。 現在でもここには4万人もの人が住んでおり、古い街道は今も生活に欠かせない道である。 街道の西の端には8本の柱をもつ牌坊が高くそびえている。これは1584年に造られたもので、 当時の大学士であった許国が行った貢献に対して、皇帝より特別の許可があり建てられたもの。 牌坊の大きさは南北長さ11.54m、 東西の幅6.77m、 高さ11.4mで、 木造建築を模して作られた中国最大の石造牌坊である。
この古い都市には1000年の歴史を持つ古い街道
「斗山街」があ
る。この街道は徽州商人の有名な一族の住居があった通りで、北斗星から名が付けられた。斗山街は、
古民居街のなかをくねくねと曲がり、道幅も狭く、3人が並んで通るのがやっとである。
長さは1�で、
黒い石で舗装された道の両側には、いくつもの高い塀をもつ屋敷が残されている。斗山街にある建物には、明・
清時代の徽州の建築様式が凝縮されている。この通りには100軒ほどの民家があり、
すべてに明・清時代から代々続く家の子孫が住んでいる。
後漢時代が起源の「許村」
歙県から約18キロメートル離れた許村は、 後漢時代が起源で古称を渓という。唐代末期、許儒が戦乱を避けここに住み着いた。
後に許家の人々が増えて、村名も許村と改められた。皇帝に徽州城のなかに牌坊を建てる許しをもらった許国は、許儒氏の子孫である。 現在も村民の6〜7割が許姓である。
許村は街道の要衝で、商人が集まった。今でも村には古民居、古い祠、古い牌坊が状態よく残っており、生きた民族博物館といえる。



