春節のいわれ
はるか昔、季節や時間の概念がまだ定まっていなかった時代に、万年という名の利発な青年がいた。ある日、万年は山へ柴刈りに行き、 木陰で休息していたとき、木の陰が移っていく様子を見て、太陽の影で1日の時間を計る日時計を作った。また、数日後、 山の崖の上からしたたり落ちる水滴をヒントに水時計を作り、1日の時間を計った。こうして、万年は時間や季節の基準をはっきりさせようと、 毎日、時間を観察し記録した。
長い時を経て、万年は360日ほどで四季が一巡することや、昼と夜の長さがそのサイクルで繰り返されることに気づいた。
ときの国王・祖乙もまた、時間や季節の移り変わりが予測できないものかと思案していた。万年は日時計と水時計を持ち、祖乙に拝謁し、 太陽や月の運行について説明した。それを聞いた祖乙は大変感銘を受け、万年が太陽と月の運行周期を正確に計り、時間を算出できるようにと、 天を祀る祭壇の前に日月閣を建て、日時計台と水時計亭を造らせた。万年は長期にわたる観察と綿密な計算の結果、ついに暦法を作り出した。
ある日、彼は天を指差して、
「今、ちょうど12回目の満月ですから、 一年が終わり新しい春が始まる節目です。この節の名をお決めいただきたい」と祖乙に言った。
「春は一年の始まりであるので、春節と呼ぼう」と祖乙は即座に答えた。万年は長い年月を暦法の研究に捧げたので、 このときすでに白髭の老人となっていた。祖乙は万年の功績を称えて、この暦法を「万年暦」、万年を「日月寿老人」と名付けた。 のちに人々は万年を記念して、年越しの際には必ず寿老人の絵を掲げるようになった。
もうひとつの言い伝え
民間に伝わるもうひとつの言い伝えも紹介しよう。
昔むかし、「年」という名の非常に獰猛な怪獣がいた。「年」は奥深い山や深い海底に住み、365日ごとに深夜、村に現れ、 家畜をまる呑みにし、人に危害を与え、鶏が夜明けを告げると去ったという。人々は「年」が現れる恐ろしい夜を「年の関」と呼び、 この日を無事に過ごす方法を考え出した。その日、すべての家は早めに夜の食事の用意を済ませ、竃の火を早くに消して掃除をする。 家畜は皆閉じ込めて、家の前後の門をしっかりと封じ、一年最後の夜の食事をする。 この食事は未来の吉凶を占う意味を持つのでたくさん用意する。まず、祖先に供え、 平安な一夜を送れるよう加護を祈ってから家族そろって食べる。食後、家族全員灯火の下でおしゃべりをしながら夜を過ごした。 これが大晦日の年越しの習慣となり、人々が春節を「過年」と呼ぶいわれでもある。
のちに怪獣「年」を退けるために、人々は門の前で竹を燃やすようになった。竹は膨張して破裂し、大きな音で「年」を驚かせるからである。 火薬が発明されると竹の代わりに火薬が使われた。この習慣は現在まで残っている。
爆竹を鳴らすのは、疫病や邪悪なものを追い払い、新しい一年が平安であるようにと祈る気持ちが込められている。
現代の春節
長い間に、春節は家族団らんの祝日となっていった。家を遠く離れた子どもたちも皆家に帰り、家族が勢ぞろいする。 大晦日は新旧の年が交替する夜であり、一晩中寝ずに起きている「守年」は、今でも重要な年越し行事のひとつである。
現在、北方の地区では大晦日に餃子を食べる習慣がある。餃子は小麦粉と水とを「合わせて」こねて、皮を作り、餡を皮に入れて包む。 餃子という言葉の「餃」の字は「交」の字と音が同じ、「合」と「交」はともに人々が集まるという意味を持つ。さらに、 「新しい年と古い年の交替」をも意味している。
南方では、年越しのときに餅を食べる習慣がある。甘い餅は、一年の生活が甘く、長く伸びていくことへの願いが込められている。



