歴代王朝が心血を注いだ城壁
万里の長城は月から見える地球上の唯一の建造物といわれている。その長城は紀元前の春秋戦国時代に、
原型である最初の防壁が築かれていた。
中国を統一した秦の始皇帝は、30万の兵士と50万の人夫を徴用し、 9年の歳月を費やして、 これらの防壁をつなげ、新たな長城を構築した。その後、北方民族の脅威に備えて、漢、南北朝、隋、明など、 歴代の王朝が築城と防壁の改修を重ねてきた。現在見られるのは明代に完成されたもの。 東は渤海に面する山海関から西は甘粛省西部の嘉峪関まで連なり、総延長は優に6000kmを超えるという壮大なもので 「万里の長城」と呼ばれる。それはまさに札幌から鹿児島まで、日本列島を縦断する距離にほぼ匹敵する。
都の北の守り「古北口長城」
北京の北東130kmにある古北口長城は、 金山嶺長城そして司馬台長城に連なる険しい燕山山脈の山中にある。 麓の古北口村は北京の北大門といわれ南北をつなぐ重要な門戸で、春秋戦国時代に燕国がここに防壁を築いた。 現在見られる古北口の長城は、漢の武帝時代に築かれたものを明代に改築したもので、全長30kmほどである。
古い歴史をもつ古北口には、長城以外にも古御道(皇帝の専用道路)や楊令公廟、財神廟、薬王廟など80か所以上に及ぶ歴史的遺跡がある。
長城を守る古北口の人々
万里の長城は、自然の風化やレンガが持ち去られるなどして、深刻な損傷を受けてきた。このため、1984年に、 中国政府は長城保護条例を作り、「我々の中国を愛そう、我々の長城を復元しよう」というスローガンのもと、維持・ 修繕を進めてきた。
古北口村が管轄する30kmの長城でも1980年代初めから修復作業が始まり、 現在まで何千万元にものぼる経費を使って作業が行われている。
村から長城へは、山間を這うように続く石段を40分ほど登らなければならない。 整備されているこの道も、長城への修復作業のために作られたものである。その工事によって環境が破壊されないように、 村人たちは工事用の石や砂を背負って、毎日何回も上り下りを繰り返したという。
古北口村には長城専門の管理機構は作られていないが、10名ほどの長城管理保護官が、 毎日山に登り、担当地域の城壁を巡視するという方法をとっている。城壁のレンガのゆるみや抜け落ちの修復、 城壁の雑草除去などの手入れも行われている。
管理保護官である康玉萍さんと楊占青さんは、ともに古北口村に生まれ育った。康玉萍さんは家庭の主婦であったが、 長城の保護活動が始まったとき、自ら希望して管理保護官となった。彼女はこのように言う。 「私は祖先が残してくれた遺産に対して何らかの貢献をしたかったのです。もし一日でも山に登らず長城を見ない日があれは、 何かが足りないような気がします」。また、楊占青さんも、長城への道を開いた時、重い石と砂を山の上まで運び、 毎晩肩を赤く腫らせたことを懐かしむように語る。その朴訥とした語り口は、長城に対する思い入れと愛情が感じ取れる。
康玉萍さんも楊占青さんも、それぞれ比較的険しい場所にある200メートルの城壁の管理を任されている。
毎日山に登り、自分の担当地域の城壁を一往復する。
その楊占青さんは「管理保護官の苦労をいとわぬ働きによって、城壁の現況を知ることができるわけです。数年前、 雷によって亀裂が入った烽火台がありました。しかし、管理保護官のすばやい発見によって、大事に至る前に無事修復することができました。 このことによって、国家は2004年に長城に避雷針をつける予算を特別に用意しました」 と語る。
古北口の長城の修復と整備は、長城の原貌を保ち、以前と変わらない姿を保持することを目的として続けられている。 こうした整備の整った古北口長城と村の旧跡には、毎年10万人以上の観光客が世界中から訪れる。



