民間に伝わる竈王祭の伝説
竈王祭の起源については、以下のような物語が伝わっている。
昔、張という名前の一家に左官の兄と絵師の弟がいた。兄は竈を造るのが得意でその名は遠くまで知られ、やがて「張竈王」 と呼ばれるようになった。村人に尊敬されていた張竈王は旧暦12月23日に70歳で亡くなった。
家長である張竈王が死んだ後、家族のなかで分家を主張する者が現れ張家は混乱をきたした。弟の絵師はある考えを思いつき、 兄の一周忌にあたる12月23日の深夜に家族全員を起こして台所に連れて行った。 真っ黒な竈の壁には、ろうそくの光に照らされてかすかに兄夫婦の姿が浮かび上がっている。家族が驚いていると、絵師は、 自分が見た夢のなかに兄夫婦が現れ、玉帝(天上の帝)に竈の神に命じられたという。さらに、 家族が分家すると騒いでいることを知り、玉帝に報告し、大晦日の夜に懲罰に降りてくると話した。これを聞いた家族は、 あわてて竈を拝み食べ物を供え、張竈王に許しを乞うた。実は、壁に現れた兄夫婦の姿は弟の絵師が事前に描いたものだったのだが、 それからというもの張家の人々は仲睦まじく暮らしたという。
この話が広く伝わり、人々は毎年12月23日に家の台所に竈王の像を貼り、
供え物をし、一家の平安を祈る習慣が生まれたのである。
竈王については別の話も伝わっている。
竈王は玉帝の婿で、まじめで誠実だがとても醜かったため、玉帝は彼を身近に置くことを嫌い、 彼を人間界に行かせて各家の竈を司るように命じた。
竈王は一年に一度12月23日に、 玉帝に各家の状況を報告するため天上に昇る。玉帝は、その報告によって翌年の各家の運命を決め、竈王に実施させる。 どの家庭でも懲罰を受けないように、家の台所に竈王を祀る祭壇を造り崇めたのである。
竈王を祀る儀式
竈王の祭壇はほとんど台所の北壁か東壁に設けられており、真ん中に竈王の像が祀ってある。祭壇のない家は竈王の絵を壁に貼る。 竈王像は通常竈王一人が描かれているが、竈王夫婦男女二人が描かれたものもある。像には大抵一年の行事が記された暦が付いている。
竈王が天上に戻る12月23日、
家々では竈王を送る儀式が行われる。日が暮れると、台所の神棚に供え物をして竈王像に線香を捧げる。
供え物に欠かせないのが酒と水あめ、紙で作った馬とまぐさだ。酒に酔った竈王は悪口を言えなくなり、
水あめを食べると粘って口が開かなくなるし、懲罰の判断も甘くなる、と考えられるからだ。そして、
深夜に一年間台所に貼られていた古い竈王像の絵を取り外す。松の枝を積み上げた焚き火で紙の馬やまぐさとともに焼き、
竈王を天上に送る。家族は火に向かって深くお辞儀をし、翌年の一家平安を祈る。
現在の竈王祭
かつて竈王祭は、皇帝から庶民まで行う祭りであった。史料によると、清代の皇帝も紫禁城で大々的に竈王祭を行っていた。 線香を焚いた供物台に向かって、9回拝礼をするのが宮廷の儀式であった。
旧暦の12月23日は小年と呼ばれ、 大年(春節)と密接な関係がある。この日から春節の準備期間に入るためであり、さらには一週間後の大晦日の夜に、 竈王はそれぞれの家の禍福を持って人間界に降りてくるからである。人々は大晦日に新しい竈王の絵を貼って迎える。
今回の竈王祭は2008年1月30日に行われた。 しかし、現在の中国、特に大都市では竈王を祀る儀式などはほとんどの家庭で行われていない。 毎年旧暦12月23日に店頭に水あめが売り出され、 家族で水あめを食べる習慣が残っているだけである。



