福建省南西部の山間地に、
独特な形をした建物群がある。それはまるで土から生えた巨大なキノコのようでもある。土でできているため、
人々はこれを土楼と呼んでいる。土楼建造の歴史は古く、唐代に始まり、明・清の時代に盛んに造られた。これらを造ったのが客家
(はっか)と呼ばれる漢民族である。漢民族はもともと黄河の中流および下流域に住んでいたが、
戦乱を避け安住の地を求めて移動を繰り返していた。そうしたなかで福建省南西地域に辿り着いた人々は、気候も温暖で、
険しい山が外界との交通を遮断している絶好の場所として、この地に住み着いた。
彼らは、 「よその人」という意味から客家と呼ばれた。
土楼は彼らが集団で住みやすく、 獣や外敵の侵入を防ぐために発達したと考えられる。土楼は土を主として、木材などを使って造られた円形や方形の建物で、「客家土楼」 とも呼ばれている。
円楼も方形楼も多くは3階建てか4階建てで、 外側は分厚い土壁で建物をしっかり支えており、内部は木材を使用して部屋を仕切っている。 1階には台所と食堂があり2階は穀物などの貯蔵庫。3階から上が寝室などの居室になっている。外敵からの防御のため1、 2階には窓がない。構造上、耐震、防風、防火に優れ、冬は暖かく夏は涼しい住居である。
福建省の永定県は、 客家土楼が最も多い地域として知られる。なかでも客家土楼民族文化村のある湖坑鎮洪坑村には、大小30以上の土楼が現存する。振成楼や福裕楼、如昇楼、奎聚楼、承啓楼などが有名だ。
振成楼は、 1912年から5年がかりで造られた内外二重構造の円楼である。外側の楼は4階建てで、各階は「易」 の八卦図に基づき8つに仕切られ、 仕切りの壁はレンガ造りの防火壁となっている。内側の楼は2階建てで、 楼の中央にある広い中堂はギリシャ神殿のような屋根を持ち、 冠婚葬祭の式場や集会の場などに使われる。 振成楼は外観が中国風で内部が西洋風という華洋折衷のデザインが特色となっており、 「土楼の王子」と称えられている。
<自ら道を切り開く客家の人々>
古来より、このような建物を造るほどの知力を持ち、伝統を守り団結心の厚い客家人は「中国のユダヤ人」
と呼ばれることもある。
現在、 客家人の居住地域は主に福建省や広東省などの山間部であるが、在外華僑・華人として東南アジア諸国に住む者も多い。 台湾にもかなりな数の客家人がおり、社会的地位の高い職業についている者もいる。
歴史の中で 「よそもの」扱いされ、少数派ゆえに不利益を被ってきた客家の人々は、子どもたちの教育に力を入れ、知的財産を身に付けさせてきた。 その結果、太平天国の乱の指導者である洪秀全や、孫文、鄧小平、台湾前総統の李登輝など、歴史上多くの人材を輩出してきた。 独特の集合住宅を築き、一族がまとまって暮らす客家の人々は、結束の固さや規律を重視し、子どもを立派に育て上げてきた。
長い年月にわたる少数派民族の苦悩と力強さを感じる。



