中国で繊維産業は、経済成長を牽引する一つの分野となっている。しかし、国内のアパレルメーカーは、 海外ブランドからの委託生産と量産品の輸出が中心で、国際市場における中国ブランドの知名度はまだ低い。また、 中国のファッション産業の大手企業は広東地方に集中している。このような現況のなか、阿尤北斗服装有限公司は、 尤鴻雁社長の出身地北京を拠点として、婦人服を中心に国内はもとより国際市場に向けて独自の地歩を築いてきた。まず、 社名でありブランド名でもある阿尤という言葉の意味はこうだ。英語の学習で最初に習う「How are you ?」というあいさつのフレーズのare you。中国語で阿尤は 「尤さん!」(「阿」は親しさを表す敬称)という意味になり、社長の姓を親しげに呼んでもらおうという心積もりから生まれた。 尤社長が一会社員としての仕事に飽きたらず、小さなデザイン室を設立したのは1996年のこと。 初期の仕事は役者の衣装やアーティストの作品集のパッケージなどのデザインが主だった。 その分野では北京でも草分けだ。「芸術関連会社に勤務していたときに、多くのアーティストたちとかかわり、 彼らの作品と触れてきたことに大きな影響を受けました」と尤社長は言う。最初の1年半は赤字が続いた。しかし、1998年、 阿尤ブランドとしてアパレル業界に進出すると業績は好転した。中国12億の消費市場はアパレル業界にも大きな潜在力を秘め、年々成長を続けていた。 阿尤もその流れに乗った。しかし、尤社長の心の中には別な思いが生まれていた。
「市場の要求に盲従して大量生産をするうちに、
ブランドの初志や仕事への満足感が失われていったのです。物質的な充足は精神的な満足を意味しませんでした」と、
尤社長は当時を振り返る。このままでは他の多くのアパレル会社のひとつでしかない。
初心に帰って自分のスタイルを探し出したいと思うようになった。「欧米、日本、韓国のショーに参加して学び、
自分のスタイルを求めました。私は形式にこだわりたくありません。
例えば、これは中国的だ、韓国的だ、日本的だといっても、それらはどんなスタイルのことを指すのでしょう。こうした問いかけを繰り返し、 そのなかから独自のスタイルが生まれました」
自身が思う阿尤ブランドを模索するなかでつらいこともあった。「社員が離れていったこともあります。仲間が離れていくことに私自身も悩み、 1年ほど田舎にこもったこともあり
ます」そして、大量生産でなく一点一点を入念に作り上げるブランドとして再出発し、顧客の支持を集めた。 生産量は大きく減っても業績は上向きになったのである。阿尤ブランドは、中国の伝統的な服飾デザインに現代感覚を融合している。 「自分たちの伝統的な民族文化
を大切にせず、さあ発展だとひたすら外国のマネばかりするということは恥ずかしい限りです。 日本には伝統を継承するという良い風習がありますね。私のデザインの師は日本の柳宗悦先生です。 宗悦先生の作品や考え方にとても感銘を受けました」中国は伝統的な民族文化の宝庫である。阿尤は今年の夏、雲南省・ 大理の文化にテーマを求めた。尤社長の模索はまだまだ続くという。「阿尤」は「Are you ?」という自分への問いかけなのかもしれない。



